— Kanatalia / Archive
Archived · 2026-03-12
Tamaki Yamamoto
山本 環
陶芸家/土と火の翻訳者
- Age
- 47
- Where
- 岡山・備前
- Born
- 1978, 北海道
「土を握り、火に委ね、出てきた姿を「自分の死を一度くぐったもの」として迎える。」
Motif — 「火を、信じる。」
— Opening / 死生観とは
「死生観」とは、
いつ死んでもいいように、
いまをどう生きるかを選ぶ態度のこと。
すべての姿は、まずここから始まる。Kanatalia の取材はかならず、 「あなたにとって、死生観とは何ですか」という問いから入る。 答えは、人によってまるで違う。違うことが、姿が違うということでもある。
— I / Present
姿の章 I
現在
備前の山あいに窯を構えて十二年。年に二度、四日かけて薪をくべ続ける登り窯の前で、寝ずに火を見ている。
「焼き上げる」のではなく「土に行ってもらう」と語る。同じ作家のもとに弟子はおらず、月のうち十日を旅に費やし、訪ねた土地の土を少しずつ持ち帰っては備前の土に混ぜている。
近作は、骨壺。生きているうちに自分の骨壺をつくる、というワークショップを各地で開く。
— II / Philosophy
Way of life / thinking
Way of life / Way of thinking
- 01
自分の手柄で作品ができたと思わない。
- 02
火と土と季節と、四つの登場人物のうち、自分はいちばん端役だと知っている。
- 03
美しいかどうかは、最後に決めない。最初から決めない。
- 04
人の死に立ち会う仕事のひとつだと、陶芸を捉えている。
— III / Past
辿りなおす分岐点
過去
この死生観に辿り着くまでに、いくつもの分岐点があった。すべてが「土を選ばせた」とは思っていない。むしろ、土がそのつど彼を呼び戻したと言ったほうが近い。
- 1985
祖母の家の土間
七歳の冬、北海道・岩見沢の祖母の家の土間で、割れた皿を新聞紙にくるんで埋めた。「ものは、しまうのではなく、土に帰す」と祖母は言った。後年それが死者を還す作法と同じであることを知る。
- 1997
美大を中退する
東京の美術大学に入学するも、二年生の春に休学届を出してそのまま辞めた。「絵を描く理由は、誰かに見せるためでしかない自分が、嘘くさかった」。仕送りを断り、京都の左官屋に三年住み込んだ。
- 2003
父の死/最初の窯
二十五歳のとき父を癌で亡くす。骨を拾った帰り道、瀬戸内の島で土に出会う。翌年、備前に移り住み、最初の小さな単室窯を自分で築いた。
- 2011
震災の年、焼かなかった
東日本大震災のあと、一年と少しのあいだ窯に火を入れなかった。「自分が焼く必然がわからなくなった」。各地のがれきの土を拾い、土と土を混ぜることだけを続けた。再び火を入れた日のことは、いまも誰にも話していない。
- 2019
骨壺を焼きはじめる
看取りの現場に立ち会ったことがきっかけで、自分の骨壺を生きているうちに焼く、というワークショップを始める。「死を準備するのではなく、生のかたちを確かめるためのもの」だと言う。
— IV / Future
姿の章 IV
未来
いずれは、自分が死んだら自分の登り窯に入って燃えたい、と冗談のように、本気で語る。
これからの十年で、四国・九州・北陸を含む五つの土地で「自分の骨壺を焼く週」を開きたい。土地ごとの土と火で、その土地に還る人のための器を、一緒につくる。
誰かの「最期の姿」を、誰かが「最初に出会う姿」へと、土を介して手渡したい。